2013年5月31日金曜日

ソフィアつづき

ソフィア市内

 午前中、ソフィア市内をまわることができた。いくつか写真を紹介する。


 露土戦争で、ロシア軍を率い、ブルガリア解放に多大な貢献をしたアレクサンドル2世の銅像。街の真ん中にどっかりある。次がアレキサンドロフ・ネフスキー教会。露土戦争の兵士たちを慰霊するためにつくられたもの。大理石のフレスコ画がみごとだが、内部は撮影禁止。

 仰ぎ見てみた
 日本語ガイドのゲオルギさん

アレクサンドル・ネフスキー教会の玄関

 日本とブルガリア40周年の石碑
 聖ソフィア教会
 ロシア教会
 中華を発見
 旧王宮
マルテニッツァ
日本のおみくじお守りみたいなもの。親しい人からもらって身につけ、
3月にコウノトリを見たら幸せを祈って結ぶ。ほしい・・・。
国立劇場

ミント・バナナ・ストロベリー・バニラのアイスクリーム!
フルーツサラダだったらよかったのですが。
4人でがんばっても食べきれませんでした。
 ローマ時代の遺構
 半地下教会
オスマントルコ支配の時代には、目立ってキリスト教を信じることはできなかった
 市場

さて、いよいよ大使館での昼食会である。バスで駐ブルガリア日本大使館の公邸に伺う。大使ご夫妻はじめとするスタッフの皆さんの暖かい歓迎を受けた。明後日(5/31)は、いよいよヴェリコタルノヴォ大学との協定調印になる。そのための様々なご配慮をいただいている。心から感謝。


ソフィアの朝


ブルガリア滞在第1日目

 時差のせいか、こちらの時間で朝4時頃には目覚めてしまった。日本とブルガリアの時差は現在6時間。日本が6時間進んでいる。朝ご飯が8時集合ということだったので、ホテルをでて、周囲を歩いてみた。目の前の通りを市電が走っている。お世辞にも最新式とはいえないレトロな作り。ブルガリアはかつてソ連の強い影響下で共産圏だったわけだが、まだその影響は完全に抜けていないということか。



 スーパーの前に、八百屋兼果物屋を発見。イチゴがまぶしい。野菜も少なくない印象を持った。あまりカメラを構えていて怪訝な顔をされると行けないので、そそくさと立ち去る(かえって変か)


 スーパーのヨーグルト棚。さすがに種類が多い。この後、全体像を撮ろうと思ったら、入り口に立っていたガードマンらしき屈強なおじさんが近づいてきたので、あきらめる。眼があってもにこりともしてくれない。表情が変わればウインクくらいするのに(日本ではしませんが、欧米仕様です。あしからず)

 レジのお姉さんにカード普通に使えるんだね、ときいたら、笑われてしまった。ただ、さっきのおじさんが怖かったので、お姉さんに笑われたことが救い。スーパーをでたところで、花屋さんを発見。バラがたくさん。さすがブルガリアか。


  ホテルの朝ご飯。ヨーグルトがでた。日本の味より優しい気がした。昨晩もそうだったが、トマトとキュウリはこの朝もでた。野菜といえばこれなのだろうか。

いくら何でもとりすぎた・・・
時間がないので、つづく!
 

2013年5月29日水曜日

ゴージャスなVINNE、静かなソフィア


オーストリア航空でウイーンに無事到着した。天気は晴れ。気温もちょうどよい暗い。
機内食、お菓子もよかった。ウィーンは落ち着いた大人の街の印象(空港だけだが)。勝手にゴージャス、と思ってみた。これからソフィア行きに搭乗する(無事到着した)。

 クッキーが空を飛んでいる。
妻曰く、魚がおぼれている・・・。

 夕食はパン取り放題・・・。

ウイーン行きの機内夕食?
肉が多すぎてちょっと辛いかな。

 ウイーン行きの軽食
ショートパスタ。レベル高し。

 ウイーン空港
私が今までにいった空港で1,2を争う綺麗さかもしれない。

 ソフィア行きの機内
偶然、宗像市の方と隣同士になった。バラ祭りでカザンラクと友好都市協定を結んでおり、
今回もバラ祭りにあわせて市長、議長などが訪問するとのこと。ソフィア空港に着いてから
ちょっとした名刺交換会となった。
乗客のほとんどは、現地の人々で、私から見てもやたらと身体がでかい。イスが窮屈そうだ。

 ホテルまでのバス
日本語ガイドのゲオルギさんは、日本にも留学経験があり、非常に流ちょうな日本語を話す。
ブルガリアはなんだか静か。


ショプスカサラダ
トマト、キュウリ等の上に白い大量のチーズが。さわやかでうまい。
パスタも食べたのだが、打ち合わせをしながらだったからか、うっかり撮り忘れた。
やはり麺はイタリアの影響が強い。

麺は中華かイタリアンなのか?ついでにパン

 いよいよ明日からブルガリア行きだというのに、まだブルガリアのことをきちんと書けていない。そのかわりに余計なことばかり書いているが、今日でこれも書き納め。そう割り切って思いつきを書き連ねてみる。
 
 四十を過ぎて急に麺や粉ものが好きになった。昔からそばは好きだったが、ここへ来てうどんやそうめんも好きになった。今や晩飯も麺の方が多いくらいだ。それで、出発直前の今日は、麺についての連想。そしてブルガリアでも麺を食べてみたい。

 思えば麺に取り憑かれたのは上海訪問からだろうか。日本のステレオタイプな拉麺と違い、中国の麺は具材に縛られない。基本のスープは至って素朴(豚骨だが、うすーい上澄みのスープ)。そこに多様な具材が用意されている。例えば雪菜(日本の高菜のようなもの)とタケノコの炒め物、例えば肉団子というように*。


上海の「呉越人家」というレストランで食べた麺。
すっきりとしたスープに麺が浮かんでいる。
右上にあるのがトッピング。これは上海蟹の蟹粉とエビだったか。
これで、30元(450円)しなかったと思う。

 石毛直道の『麺の文化史』には、中国で発生したとされる麺がイタリア(パスタ)に向かう麺の歴史が考察されている。しかし、この麺の2大消費地をつなぐ地域、特に南アジアのあたりは、石毛の本でも失われた地域となっている。ブルガリアは南アジアというわけではないが、このあたりはどうも麺といえばパスタになる可能性が高いようだ。固有の麺はあるのだろうか。



ノルウェーで食べたムール貝てんこ盛りのパスタ。
失われた地帯かどうかはわからないが、たしかにノルウェーでも麺といえばパスタだった。
ただし、前に書いたように本当に高かったのであまり食べ歩いておらず、
未知のものがある可能性を残している。1人前なのに2500円(涙)
ただし、量はこれでもかというくらい多い**。

 さらに粉もの。麺も粉ものの内だが、お好み焼きのような、いか焼きのようなものは世界にたくさんある。複数の本に紹介されているブルガリアのバニッツァもパンというか粉もののジャンルだろう。(写真は滞在中に!)。
 
 もう一つ、粉もので忘れてならないのがパン。ブルガリアには人を歓待するために、あるいは祝祭のためにパンを焼く習慣があるらしい→ココ。本を見ても、結婚式の時に焼かれるパンは、表面に見事な模様がつけられていた。読んだ中では、文化史な説明はなかったが、このあたりの風習なのだろうか。どちらかというとイスラム文化圏の習俗なのだろうか。
 
 昭和16年生まれの父はパンがむやみに好きである。それもコッペパンのような味気のないパンをバターも塗らず、トーストもせずにほおばる。あんなモサモサしたものをよく食べるなと思うのだが、本人は至って平気だ。おまけに、葬式には生花の代わりにパンを入れてくれと言っている。コッペパン、コロッケパン、サラダパンあたりがお好みらしい。ブルガリアでは実は大まじめな話なのかもしれない。

おまけ

 出発前日なのに、仙台に出張してしまった。お昼に時間が少し空いたので、仕事場を抜け出して近くのハンバーグ屋でお昼をとった。うまいけど体重が。



*意外だったのが、ラーメンについての理解。中国に行くまでは、私はラーメンとは中華なのだとばかり思っていた。しかし、そうではない。日本で我々が食べているラーメンは、彼の地では「日式ラーメン」、つまり日本風ラーメンである。では、拉麺とはなにかというと、文字通り小麦粉をこねて引っ張って麺を作る形式の麺である。上海以外の地ではそれをなんというか私にはわからないが、蘭州拉麺といって、回教徒が作る牛肉スープの拉麺だった。中国にはこの拉麺以外にも多数の魅力的な麺があり、ここでは書けないので別の機会に。あるいは他の誰かに。

**ノルウェーの食といえば、トナカイの肉が名物というので、結構有名な店に行って食べたことがある。見た目は↑の仙台のハンバーグと似ているのだが、肉の味はもっと濃厚で例によって1人前とはいえない恐るべき量なので、私には辛かった。

※麺といえば、最近のラーメンは豚骨ばかりで困る。このところ豚骨ラーメンを食べるのが辛くなってきて、極力避けている。でも、20代のころは京都のアパートのそばにこってりとんこつで有名なラーメンや(天○一○)の本店があって、そこに時々いったものだった。ただでさえこってりなのに、「こってり」と「あっさり」だったかの選択肢があった。一般的な感覚ではどちらも「とてつもなくすごくこってり」か「すごくこってり」的な区別なのだが、あれはあれでよい。そういえば京都のラーメンって、豚骨が多かったが、あれはなぜだろうか。最近は京都に限らずどこでも豚骨ばかりだが。

※ばたばたして両替を忘れていた。気付けばユーロが130円台。手元に90ユーロ発見。でも、結局空港で両替か。

2013年5月25日土曜日

キリルとメトディー


旅の目的は・・・

 なぜブルガリアか。今回の目的は、ブルガリアの大学訪問である。私の勤務する共愛学園前橋国際大学とヴェリコ・タルノヴォ大学の学術交流協定を結ぶ旅である。先日もその関係で、前橋のバラ園で「ブルガリア共和国バラ記念植樹式」があった。結団式も行った。それにしても、大学の研究者や学生のネットワークが国の枠を超えて広がっていくことは楽しみである。先方の写真がまだないので、とりあえずうちのほうの写真を。

  カメラの練習ついでに正門から大学を撮影。
 大学の裏の桃の木川から赤城山を望む
赤城山がくっきり見える。はじめて来たときは、風光明媚すぎてぶったまげた。
冬はこの山から空っ風が吹いてくる。京都における比叡おろしなんて目じゃない。


キリルとメトディー

 ヴェリコ・タルノヴォ大学は、ヴェリコ・タルノヴォ市にある国立大学である。ブルガリアで二番目にできた大学らしい。国際交流基金のページによると、正式名称はヴェリコ・タルノヴォ「キリルとメトディー」大学である。キリルさんにメトディーさんの大学。この人たちはどなたでしょう?

 キリルとメトディーとは、キリル文字の発明者で、(ブルガリア系?)ギリシャ人の兄弟である*。ブリタニカによると西暦863年からスラブ人へのキリスト教の布教を行い、その際に古代スラブ語のアルファベットであるグラゴル文字をつくり、聖書などをスラブ語に翻訳したという。このグラゴル文字が元になってキリル文字**ができたというのが現代の学説では有力らしい。キリル文字とは、ロシア語などを勉強するときに見るあれで、ブルガリア語もこの文字を使う。ブルガリアの人たちは、キリル文字(グラゴル文字も?)がブルガリアの発明といっている。キリルとメトディ—がブルガリア人だからと。この点、少し調べたが、ブリタニカではギリシャ人だった。よくわからない。

 さて、キリル文字ってどんな文字かということで写真を2枚。読めないが、でもなんとなく装飾的でかっこいい(かっこつけるために練習しとくか)

キリル文字ってどんなものだろうと思って、言語学事典を開いてみる。
読めない・・・。次の1枚とともに雰囲気だけは伝えたい。
見つけてくれたFさん、ありがとうございます。

*#%*#@・・・!!??

要するに彼ら兄弟はスラブ文化の文字化の起源であり、啓蒙者なのである。彼らがいなかったとしたら、南スラブ系のブルガリアの今は違った形になったかもしれない。こうしたわけで、大学ではこの二人のギリシャ人を称え、また、大学が現代において同様の啓蒙的役割を果たすことを目指してこの名前がつけられたようだ。

 ※5/30追記 スラブ文化圏においてキリルとメトディは、知の象徴であると、飛行機の中で読んだブルガリアガイドに書いてあった。

 それにしても、日本でこのように劇的な啓蒙的役割を果たした人物がいるだろうか。漢字の伝来、仏教伝来、戒律の招来。明治維新。日本の場合、なぜか人物が前面に現れない。もう少し隠微な形で、いつのまにかある地域・一定の人々が集団的に啓蒙されてしまっていて、それが既成事実として広がっていくのだろうか。そんな妄想を抱いた。そして、そう思うとちょっと怖くなった。

 ちなみにヴェリコ・タルノヴォ大学、日本語教育の一大拠点である。ブルガリアにおける2009年度の日本語学習者は全国で1868名。このうち大学等の高等教育機関(全国で6校?)で学んでいる人は151名。このうちヴェリコ・タルノヴォ大学では約60名が学んでいるというから(国際交流基金のweb)、ブルガリアの高等教育機関における日本語学習者の40%弱がこちらで日本語を学んでいるということになる。すごい。

おまけ:いつか食べたスイーツ
 
 ベリーとクリームチーズのクレープ、バニラアイス添え
正確な名前は覚えてないが、そんな名前だったと思う。うまそうでしょ。
でも、こういうの食べてるから痩せないんだよな。

*ギリシャ風に読めば、キュリロスとメトディオス(Kyrillos kai Methodios)。こっちのほうがかっこいいと個人的には思う。私もマナヴィトゥスとかがよかった(*^_^*)。でも、ばりばり中国人風の名前もかっこいいか。そういえば、イギリスにいたときに、Manabuという名前が呼びにくいのでいっそ英語名を作ろうかと思ったことがある。GeorgeとかTomとかいろいろ考えたが、そのときのボスに聞いたら、日本語の名前でいいじゃないかと一蹴された。今考えるとそれでいい。(Georgeは当然のことながら、ジョージ・クルーニー。ネスプレッソのCMは有名か。それからTomはもちろん、こないだドバイのたっかいビルをよじ登ってた・・・以下略。)

**このブログでは、わからない語句などを頻繁にWikipedia(Wiki)にリンクさせているが、Wikiだけを見ているわけではないことを一応断っておく。レポート書くのにWikiなんか見て丸写ししちゃだめです。でも、手っ取り早く知識を確認するには楽ではある。それが落とし穴なんだけどね。ちなみにキリル文字のくだりについては、ブリタニカ・オンライン・ジャパンと、言語学大事典を利用してます。

※隣国マケドニアの首都スコビエにも、キリルとメトディ大学が存在する。マケドニアの最高学府だろうか。当然ながらマケドニア語もキリル文字を使っている。ちなみにこちらのキリルとメトディー大学では正規教育としての日本語教育はなく、サマーセミナー程度ということ。

2013年5月20日月曜日

お金について考える

外国でのお金をどうするか

 海外にでるときに欠かせないのがお金。言葉が通じなくてただでさえ不安なのに、お金までないとなったらまさに泣きっ面になんとやら。そこで、多くの人は現地のお金に両替したり、トラベラーズチェックを持って行ったりする。

 で、私の場合、この10年くらい、日本の銀行のインターナショナルカードを使って現地のATMで現地通貨を下ろしていた。これは普通のキャッシュカードを海外でも使えるようにすることだ。デフォルトでそうなっているカードもある。こうすると勝手に両替されるし、一見すると手数料がつかない。おまけにクレジットカードではないので、残高以上は下ろせない。だから、使いすぎてあとでびっくりするような請求が来ないという利点もある。さらについでにいうと、現地の人っぽくてかっこいい(ただの勘違い)

 それで深く考えずにいたのだが、よく調べるとそんなうまい話はない。結局、見えない形で手数料がついているようだ。しかも、他の手段より微妙に多い形で。あー、今までにこの方法を勧めてしまった皆さん、ごめんなさい・・・。私が無知でしたm(_ _)m
 
 ちなみにこの銀行、バブルがはじけた時に破綻して名前が変わった銀行なので、まあ私は大変ささやかな形でかの銀行の復興に貢献したやもしれぬ。うーん。
 
 それで、今回改めて少し調べたのだが、どうも両替率(いわゆるレート)と手数料が重要らしい。そして短期間の旅行の場合、そのもっとも有利なのがクレジットカードでのキャッシングのようだ。えー、キャッシングって利子がバカみたいについて怖いじゃないと思うのだが、帰国してすぐに返済(!)すればそれでも他の手段よりもいいらしい。
 
 それでもやっぱりキャッシングは何となく怖いという向きには、やはり日本の銀行で両替するのがいいみたいだ。ただ、銀行にもいろいろと差はあって、どこがよいというのがあるらしく。キャッシングが嫌いな私は、まあ仕方ない、行ってくるか。

ヨーロッパ中央銀行(フランクフルト)
今回はユーロとレフ(ブルガリアの通貨)を使うのだ!
ちなみにレフは日本では両替できないからユーロを持って行ってあちらで両替する。

ビッグマック指数

 ところで、複数の通貨の価値を直感的に比較するのに適しているといわれているのが、昔はさんざんお世話になったマクドナルドのビッグマック。ビッグマック指数というらしい。

 以下の写真は2年前(2011年)のベルゲン(ノルウェー)でのもので、ビッグマックではないが、デラックスベーコンバーガーセットだと思う、85クローネ(日本円で1480円!!!!!)。ノルウェーのほうが圧倒的に経済力があるということか。ここ最近の円安で海外のビッグマックは相当値上がりしているが、これは円高でも高く感じる(その当時で1200円くらいだったと記憶している)。だからベルゲン滞在中は、たまたま見つけた中華食材店で買ったカップ麺ばかり食べていた。それはそれで旅の風情があるというものだが、クイーンエリザベスが停泊するような高級リゾート地で、レストランで皆さんうまそうなものを食べてるのを横目にカップ麺をすするのも、なかなか微妙である。

 ベルゲン(ノルウェー)のマクドナルド店頭広告
なんとなくおしゃれなたたずまいを無理矢理感じてほしい

 ちなみに、ベルゲンはハンザ同盟の拠点だった街で、ブリッゲンという木造建築(倉庫)は世界遺産になっている。行ったのは8月だったが、涼しかった。いい街だが、とにかく何もかも高かった。今度は宝くじを当ててから行きたい。



 ブリッゲンの外観
建物全体が世界遺産だが、中はレストランや土産物屋が多い。

ブリッゲンの通路
人がいない時を見計らって撮るとさすがに雰囲気がある。
いや、ブルガリアのブログなのは知ってますがまだ行く前なので・・・

 ということで、ブルガリアでマックを探すというタスクも加えてみよう。


※ある卒業生が「先生のブログは改行がなくて読みにくい」というので、今回は改行をこころがけた。果たしてどうか。その卒業生にはブログなのに「である調」なんて信じられないというような趣旨のこともいわれたが、それは許してほしい。というか、それって、話し言葉で書いてほしいという意味なのだろうか。「○○じゃん」、とか「○○だよーん」とか。そんなの「にあわなーい」し「ありえなーい」(笑)。とにかく40過ぎのおやじには恥ずかしいから、譲らない、譲れない(笑)。その代わり、写真を少し入れてみた。

※※こんなブログを書いている間に、早く博士論文を書き上げよ、という声が某所から上がっている、気がする。その通りだ。まずい。



2013年5月17日金曜日

ヨーグルトがあって・ない話


 食が気になる。普段から頭の半分くらいは食なのだが、ブルガリアの食が気になって、慌てて本を読んだ。早速、食関連の本をひもといた。ひとつは馬路泰蔵・馬路明子著(2012)「ミルクを食べる 肉を食べる」風媒社。もうひとつは月刊食生活編集部編(2013)「ヨーグルトと暮らす人々」カザン。ともにブルガリアに直接取材して書かれている。さて、勉強の成果はいかに
 
ブルガリアにはヨーグルトがない。

 ブルガリアにはヨーグルトがない。キセロムリャコ(酸っぱいミルクの意)と呼ぶ。ヨーグルトと呼ばないのだ。ブルガリアの一般家庭で、ヨーグルト、ヨーグルトと会話が楽しげに交わされていると妄想していた私は、なんだかだまされた気分だ。ちなみにヨーグルトという呼び名はブルガリアのお隣のトルコでyoğurt(ヨールトと発音するらしい)と呼ぶことが起源のようだ。つまり日本でヨーグルトと呼ぶのは、こちらのトルコ系の流れをくんでいるらしいが、どうして日本にこのヨーグルトという呼び名が伝わったのかはわからなかった。
 
 さて、気分を取り直して、キセロムリャコと呼んでみる。復唱してみる。呪文のように聞こえないでもないが、それはそれで新しいイメージを描けそうな気もする。ヨーグルト=デザートという公式から解き放たれる気もしないでもない。よし、キセロムリャコ。

 キセロムリャコには、牛・水牛・羊・山羊の乳からつくるものがある。古くから各家庭でキセロムリャコを作っており、デザートだけではなく、様々な料理に使う素材の位置づけ。ある家庭での消費量は1日3リットルにもなるというが、本では統計的な資料はみつからなかった。だとしても、そもそも冷蔵庫の一番下の部分がキセロムリャコ専用というのだから、消費量の多さはおおよそ想像がつく(だいぶ、言い慣れた)。
 そしてブルガリアですることが一つ増えた。キセロムリャコの食べ比べ。水牛のは明らかに苦手そうだが、大丈夫か、俺。

 次はパンの話をしたい。

実は今回の件があったのでちょっと前に図書館にお願いした。Mさん、Fさんというお二人の司書さんにそろえていただいた。また本のリストアップについてはこれまたXさんはじめとする方々にご尽力いただいた。この場を借りて深く感謝します。

*「ヨーグルトと暮らす・・・」のほうを読んでいたら、家にペチカ(薪式オーブン)があるという記述があった。ふとドリフターズの一場面を思い出した。ドリフの面々が合唱団の制服を着て並んで「雪の降る夜は〜、たのしーいーぺーちかー♪」と歌う。つづけて志村けんや加藤茶が替え歌にしてずっこける。今考えると古典的なギャグなのだが、楽しかったな。中年おやじ風にくだをまくと、学生にはわかんねえだろうなあ。でも、あのころのテレビって楽しかったなあ。

2013年5月13日月曜日

食事つれづれ

カメラテスト代わりに

 ブルガリアと関係ないというなかれ。カメラのテストである。
 たまっていた仕事を済ませて一段落したある日の夕方、近くのカフェで食事した。イカと明太子とホワイトセロリのパスタ、クルミと黒蜜のシフォン、コーヒー。相方はグリル野菜と大豆と鶏のキーマカレー。日本的、あまりに日本的なカフェご飯。メタボ解消の夢はいずこ・・・。

中華礼讃

 それにしても、今までの海外では幸か不幸か食には恵まれている。なぜなら困ったときは中華に飛び込むからだ。だから、海外で食べるものがないという経験がない。ロンドンもフランクフルトも、オスロも、アデレードもうまい中華料理があった。以前、文化人類学をやっている友人にきいたことがある。どの国にも必ず中華料理屋はある、と。まるで砂漠のオアシスだ。

 そうか、結局どこでも中華なのか。しかも明らかに日本の中華よりうまく(本場の味に近く)、中国語が通じることが多い(つまり、中国系の人々が作っている。これにはちょっとここだけでは語り尽くせない事情が絡んでいるようなので割愛)。じゃあ、なぜ日本は中国と近いのにおいしい中華がそんなにないのかと思う。一説に近すぎて、変に同化してかえって本物から遠ざかっているのかもしれない。なんだか考えさせられる。

 ちなみに海外で和食を食べてうまかったためしがない。ロンドンで食べたカツ丼は、今考えるとなんであんなん食べたんだろうとその発想すら疑うが、単なる醤油味だった。TESCOで買ったいなり寿司はご飯がぱさぱさだった。でも、例外があって、寿司屋だけはいける。ロンドンのBrent Crossという駅の近くにあった寿司屋は安くてうまかった。親方が日本人で、こっちが日本人と見るとずいぶんよくしてくれた。でも、そのときも、マグロがあまりに黒くて不思議に思った記憶がある。結局近くで中華を見つけて食べていた記憶がある。あの広東料理、店の名前はなんだったか。Crispy dug、おいしかったなあ。

※あれ、なんでなんだろう。知ってる方がいたら教えてください。私がロンドンで見たマグロはみんなやたらとどす黒かったのです。酸化してるから?

 ブルガリアの食を書こうと思っていたが、そういえばヨーグルト以外まだ何も調べていない。ただ、おいしいという噂だけ。後、日本でブルガリア料理を食べたことがある知人がいうには、ブルガリア料理は「中央アジア+トルコ+アラブ」ということらしい。そういってイメージできるのはカバブだけなんだが・・・。確かにバラ祭りの衣装なんかを見ると、『乙嫁語り』の森薫が好きそうな中央アジアのテイストではあるか。香水を飲んでるようなバラのジュースもあるらしい。現地で報告しよう。

 
 



 

2013年5月12日日曜日

ブルガリア連想とリンク

ヨーグルト、バラ、琴欧洲

 外国に行くときはたいていそれなりのイメージがある。ところがブルガリアについては、多くの人があきれるほど三つのイメージしか持ち合わせていない。ヨーグルト、バラ、そして琴欧洲。私も例外ではなかったので、早速調べてみることにした。
 
 ブルガリア=ヨーグルトという日本におけるブルガリアイメージ成立に多大な貢献をしたのは明治である。大阪万博のブルガリア館で試食したヨーグルトに惹かれて製品化するに至る過程、それから現在までの道のりがここで読める。ちなみに一昔前のブルガリアでは日本のように買うのではなく、ヨーグルトとは各家庭で作るものだったようだ。ぬか漬け・梅干し・沢庵のたぐいか。明らかにヨーグルトの立場が日本と違う。ちなみに明治ブルガリアヨーグルトのページに、ブルガリア人男性と結婚してブルガリアに移り住んだ女性が書いた記事や、はてはブルガリアの歴史まで紹介されていた。ビバ、明治。ビバ、ヨーグルト!

追記 ブルガリア経済・エネルギー・観光省が作ったオフィシャルページを見つけた。ブルガリアへの旅の有益な情報はここで得られるようだ。また、ブルガリアの歴史についてもオフィシャルページにこれ(PDFファイルが開くので若干時間かかる)があった。

 バラ。ブルガリアと言えばバラ。実は前橋もバラ。ブルガリアでは年に1回6月の第1週の日曜にバラ祭りが行われる。なんとなく雰囲気を伝えるページを見つけた→ココ。パレードや、バラの女王決定戦は必見か、なるほど。そうか遠いのか、そして・・・「状態の悪い一般道を走り、山越えもあるため、上下左右に激しく揺れます」と。えー・・・。今回、私たちはバスでいくことになっているのだが。酔い止めを持って行こう。

 琴欧洲。おー、ブログやってたか。しかも、「ちゃんこ鍋とヨーグルトって意外と合うんです」とかなり規格外なブログ。内容はきわめてシンプルで、あまり人となりはわからない。それで、個人的な趣味でサッカー元日本代表の松井大輔の日記を発見。首都ソフィアのチームにいる。がんばってほしい。

 ブルガリアと心理学はどうか。Bulgarian Psychological Societyがあり、500人の心理学者が登録されているらしいが、少ない。ちなみに日本の代表的な心理学会である日本心理学会の会員数は,7,400名(2012年3月末現在)。日本と比べて1/15ちかく。大分少ないとおもって人口を比較して納得した。ブルガリアの人口は700万人で、日本の人口が1億3千万だから、日本とくらべて1/18というところ。ということは、人口あたりで考えるとブルガリアの方が心理学者が多いようにも見えるが、日本の心理学はいろんなジャンルごとに学会が分かれているのでこれだけでは実数をつかめない。ということは人口比でみて同じくらい心理学者がいると考えるのが妥当だろうか。

日本とブルガリアの人口比較。





 

2013年5月10日金曜日

持って行くもの、あるいは持って行かざるを得ないもの

 旅の基本方針は現地調達であろう。結果的に荷物は日常のどうしても捨てられない部分を示すはずだ。捨てられないものは2つの気持ちにわかれる。一つはどうしても持って行きたいもの、もう一つは必要に迫られて(本当は置いていきたいのに)持って行かざるを得ないもの。やってみるとおもしろくて1週間以上を費やしてしまった。

持って行きたいもの

・カメラ
 小さなデジタルカメラを買った。小さくてもカメラを構え写真を撮りたい。携帯でついでのように撮りたくない。


・コーヒー
 悩んだあげくミルとドリッパーを持って行く。水が変わると味も変わる。豆はいつも飲むモカと焙煎のつよいブレンドを。時間があれば水を変えて実験してみたい。


・ノートパソコン
 仕事に必要なのではなくて、トランキライザーのようなもの。旅に出ると移動中に締切を過ぎた原稿を書けると思い込んでいるから。だだし、帰りには重さばかり感じられる。

・本
 ブルガリア語の会話集と旅行記を。「こんにちは」は【Здравейте(ズドラベイテ)】。

持って行かざるを得ないもの

・スーツ・ネクタイ
 平教員としての大学勤務の良さは、ネクタイを締めなくてもよいことだといっても過言ではない。とはいえ、今回の旅はあくまで仕事なので、ネクタイ・スーツは欠かせない。泣く泣く手持ちのものを持って行くことにする。しわ取りスプレーも忘れずに。

・耳栓
 40にして気づいたことだが、静かな環境を作らないと集中できない。耳の中に何かを入れるのは愉快ではないが必要。

・携帯/Wifi
 旅なのに連絡がつくなんてばかげている!


2013年5月4日土曜日

旅の準備

 5/29〜6/5までブルガリアに出張することになった。
なかなかいけないところなので、旅の準備として、旅の記録をつけはじめよう。
 個人的な旅行記の白眉は『インド夜想曲』だが、あれは旅行記というよりは散文詩である。文学的なセンスなどは期待しようもないから、この記録は整合性とは無縁の思いつきの連続にしかならないはずだ。とはいえ、振り返って恥ずかしさを覚えることは嫌だから、無駄と思える言葉をできるだけ削って表現する努力はしてみよう。